2019年5月25日 (土)

1998年夏。鬼女面さんによる『敗戦後論』(加藤典洋)のエッセンスを踏まえたフェミニズム批評(からの抜書き)

1703(←ニフティ現代思想フォーラム11番会議室での発言番号) 「なるほど「人権」思想はたしかに大事な要素を含んでもおりましょう。でもそれは、「永遠」の普遍的な価値ではなくて特定の歴史段階で西欧に産...

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2018年8月18日 (土)

「自国」の意識-「蘭学と庶民」からのアプローチ

(2000年1月25日 現代思想フォーラム11番会議室発言から。「国学」と「自国」意識の関連について議論している場に「蘭学」をもって乱入した蛮行の記・笑)

昨年〔1999年〕はなぜか伊能忠敬(1745-1818)が話題になりました。「伊能ウォーク」などと称する「歩けあるけ運動」みたいなものもあったようです。生没年からすると何で「伊能忠敬」なのか不明でありますが。

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2014年3月10日 (月)

原爆と「日本人」 (2000年1月のニフティ会議室での対話から)

前回のレス(#3303)でハーグ世界市民平和会議のことに触れました。「公正な世界秩序のための基本10原則」に憲法9条の理念が取り入れられたことを国内諸市民団体は「大きな成果」として前面に押し出しています。一方、同会議には20人の被爆者がここぞとばかり参加したものの、彼らの原爆体験報告も被爆展示もあまり注目されることなく、会議と並行して行われていたコソボ空爆熱の陰に埋没してしまったそうです。憲法9条の理念は実は急拠「10原則」取り入れられたのだそうですが、これと被爆者埋没は「コソボ問題」を間に挟んだ表裏の関係にあったようです。ま、これは単なる前置き的な情報提供ですが。

  さて、本題の「原爆と日本人」の問題です。

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「ねじれ」の中のヒロシマ(1998年8月のニフティ会議室への投稿から)

「慰安婦」の思想空間、大変興味深く読ませて頂きました。
以前19番で*鬼女面さんからご示唆頂いた問題の「本筋」とも言える部分を開示して頂いたように受け取っております。

  様々な論点が頭に浮かぶのですが、ともかく驚いたのは、私個人の課題である「広島原爆」の問題を考える上で同じ構造に突き当たるということです。慰安婦問題が「加害」一般として語られる一方で、こちらは「被害」一般として語られているわけですが、そこには「ねじれ」が陰を落としている「戦後の思想空間」として多くの共通項を持っているように思います。この点について書いてみたいと思います。

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2013年5月15日 (水)

戦後日本における「元慰安婦」の位置 (鬼薔薇さんの旧稿ご紹介)

鬼薔薇さんがニフティサーブに別名で書いた戦後論の一つ。1997年1月3日の「正月酔談「日教組の『平和教育』の嘘」」からの抜粋ですが、今も有意義な文章だと思う。慰安婦問題を俯瞰するマクロな視点。また、我々が改憲から守ろうとしている「平和」の質についても考えさせる。すでにネット上には無く、このまま消え去るのは惜しいと思い、ここに謹んで転載させて頂きます。

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2013年4月25日 (木)

2010年夏の靖国談義(一知半解さんとの対話)から【5】

【A級戦犯合祀=死ねば罪問わず=日本人の精神文化か?】

>①靖国史観は、日本の伝統的価値観ではない。
>②合祀理由も靖国史観を補強するためであって、伝統的価値観によるものではない。
>③従って、靖国参拝の理由に、日本的価値観を挙げるのは間違い。

 ①について。「靖国史観」ではなく「靖国の論理」です。その論理による合祀は「死ねば分け隔てなく弔う」という仏教的理念に依拠したものではなく、「国家の戦争に殉じたか否か」という基準によるものであり、その前提には聖戦論(「靖国史観」)があるということです。

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2010年夏の靖国談義(一知半解さんとの対話)から【4】

【A級戦犯の合祀について】

 A級戦犯の合祀を国民が受け入れたとの「事実」を私は確認できません。論壇的には左右双方から疑問や批判が出ており、政治家以上に「国民の総意」に神経質な皇室もこれを忌避しているとの議論もあります。この問題が国民的に決着しているとは思えません。また、国民が受け入れたのが仮に事実であったとしても、靖国神社の「大東亜戦争聖戦論」の立場は1945年以前と変わらずに存在しており、国の指導者が参拝することの「意味」が国民の支持率によって変わるわけではないのです。

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2010年夏の靖国談義(一知半解さんとの対話)から【3】

【「中韓的価値観」と「日本的価値観」という二元論への疑問】

 思想や価値観を「中国的」「韓国的」「日本的」と区分けすることは国際文化論などでも見掛けるものですが、一知半解さんの場合はその区分けの基準が思想そのものの分析から来るというより日韓・日中の政治的な対立観念から来ているように見えます。中韓に同調的だから「中韓的価値観」、日本に同調的だから「日本的価値観」といった具合に。このようなモノサシは政治的立場をラベリングするモノサシではあっても、価値観や思想それ自体を測るモノサシではありません。それぞれが存在理由を持つ主張を「非日的価値観」と「日本的価値観」という国境分岐式の二元論で批判したり評価したりするような議論には、人間の知的営為を国境線で足切りするような粗暴さを感じます。

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2010年夏の靖国談義(一知半解さんとの対話)から【2】

【「英霊」と「アジア」をともに裏切る日本の政府】

 大東亜戦争を正義の戦争だと教えられ、大陸の匪を討ち英米の鬼畜を撃破するために「靖国で会おう」と死んでいった英霊にしてみれば、自分たちが死なねばならなかった理由を曖昧にされたまま国が「侵略戦争だった」とアジアに謝罪し、節操なく米国を盟友と頂き、靖国神社を一宗教法人として切り捨てたことは明白な「裏切り」ではないでしょうか。

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2010年夏の靖国談義(一知半解さんとの対話)から【1】

松竹さんのブログ「超左翼おじさんの挑戦」が終了したようです。そこでの私のコメントをこちらに転載しておきます。以下はトピック「韓国植民地支配での菅総理談話・3」での一知半解さんとの対話から。転載にあたり見出しを補足しました。

                                        ※ ※ ※

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